暑い夏、父を送る

退院後、実家での介護生活か始まり約2カ月、老衰のため今月の16日に亡くなりました。享年98歳でした。終わってみると短かかったと感じますが、1-2年は続く覚悟だったので、まだそのギャップがうまく埋められない状態です。そして、今度は一人暮らしとなった母親のケアが始まっています。

今の実家は横浜でも坂の多い片田舎ですが、都内の中学を卒業と同時の引っ越しでした。そうです、昭和当時のサラリーマン憧れの庭付き一戸建てでした。狭い社宅に住んでいたので、ようやく一人部屋が確保されたものの、それまで住んでいた小学・中学の友達、地縁社会とは切り離される事になりました。そして中学を卒業した少年には、横浜から都内の高校へと通う、片道約1時間半の遠距離通学が待っていたのでした。

自分としては突然とも思えた引っ越しで、10年以上住んだ地縁社会から切り離された影響は大きく、しばらくは造成されたばかりの宅地にあまり馴染めず、次々と建つ住宅を無視して暮らしていた様に思います。一人部屋での生活、それはやがて孤独な心象風景につながり、意味のよく分からない寂しさと共に生きていた様にも思います。

という事で、父親の葬儀も終了しましたが、昨秋は義母、今夏は実父を亡くし、自分にも世代交代という現実、そしてメメントモリ「死を想え」という観念が啓示された様に思います。残った母をケアしながら、やっと大人になれるかな、ご報告まで。

雷鳴は 夏雲の中 怒り行く   ヨーガ

 

 

 

 

 

 

 

 

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