遠野より帰還 その2

さて震災ボランティアの続きは、現地二日目となります。

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遠野のボランティア拠点では毎朝、6時に起床。そして7時になると、前日注文した朝食(400円)と昼食(200円)の弁当が事務局に届いていて、それを受け取ります。その後、7時40分には、個人参加、団体参加すべてのボランティアが集まり、全体朝礼が始まりますので、それまでに朝飯を済ませ、身支度を整えます。

そして全体朝礼はラジオ体操から始まりますが、その後、当日の作業内容による作業地区の必要人数が明らかにされ、個人であればある程度、希望する活動へ参加出来るシステムとなっています。

画像はラジオ体操後の事務局の挨拶です。夜行バスで来た場合、6時半に施設に到着しますので、自分の荷物を割り振られた部屋において身支度をし、自前で用意した朝食を食べて、この朝礼に参加することになります。

さて現地二日目は、一日目の釜石市箱崎地区から見ると北側に位置する大槌町での活動を割り振られました。

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画像は移動中のバスからのもので、その日の活動現場近くの海寄りにある瓦礫置き場であります。昨年12月にもこの大槌町で活動したのですが、そのときと同じように瓦礫の山が延々と続いていて、復興といってもまだまだ先が遠い事を思わせました。

受け入れ側住民の反対で、瓦礫の処理を受け付けない自治体が多い事はとても残念な事です。東北の海辺周辺にこの瓦礫の山が続く限り、復興はあり得ないと感じています。今日もニュースで、北九州の住民が実力で瓦礫の搬入を阻止した事を知りましたが、石原都知事の早い決断で東京は瓦礫処理を受け入れています。都知事とは思想信条は違うところもありますが一都民として国民として誇りに思います。

さて、二日目の大槌町の現場は、海よりにある赤浜地区です。なんとここには、NHKのTVで放映されていて、ヨーガが子供時代に好きだった人形劇〈ひょっこりひょうたん島〉の元になっていた島がありました。うーん。感動、感激、巡り会い。そう言えば、吉里吉里という地名が大槌町の北側にあり、作者井上ひさしさんの匂いが漂う岩手県沿岸部です。

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これが〈ひょっこりひょうたん島〉のモデルで、蓬莱島(ほうらいじま)といいます。津波で赤い灯台はへし折られ、鳥居も流され無くなっているそうですが、立木も立派に残ったこの勇姿は感動ものです。

 ひょっこりひょうたん島

            詞:井上ひさし・山元護久
            作曲:宇野誠一郎

波を ちゃぷちゃぷ ちゃぷちゃぷ かきわけて
    ===ちゃぷ ちゃ ぷ ちゃぷ===
雲を すいすい すいすい 追い抜いて
    ===すい  すい  すい ===
ひょうたん島はどこへゆく
僕らを乗せてどこへゆく 

丸い地球の 水平線に 何かがきっと待っている
苦しいこともあるだろさ  悲しいこともあるだろさ 
だけど僕らはくじけない  泣くのはいやだ笑っちゃお

進め  ひょっこりひょうたん島  ひょっこりひょうたん島  ひょっこりひょうたん島

こんなに震災後の気持ちにすっと入ってくる歌も珍しいと感じました。
そうなんだ進め~なのだ。

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この大槌町は、3.11、この地区の遊覧船が、津波で建物の上に乗り上げた事でも有名となりましたが、今は撤去されて建物だけが残っています。この赤浜地区の象徴としてこの看板
がポツンと立っていました。

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さて画像は、この町にある赤浜小学校の校庭です。津波で被害を受けた校舎の撮影は不可でしたが、既に廃校が決定しているとの事でした。ちょっと高台にあるこの小学校の体育館は無事なのですが、赤浜地区の子供達が遊ぶグランドがなく、この校庭の整備を依頼されました。

この校庭は大きな瓦礫は撤去されているものの、まだ無数のガラス片や金属片が散らばっていました。ボランティア約20名が校庭の隅から、校庭の砂に混ざった危険物の撤去を始めましたが、地面にかがみ込んでみると、小さな瓦礫もあり、ちょっと掘ると石もざくざく、ガラス片は数センチから数ミリまであり、なかなか思うように作業が進展しません。しかし、このグランドで子供達が転んでも怪我しないようにと細心の注意をするので、それもしょうがないと思うのであります。

そして腰もがくがくとなる頃、やっと昼休みの12時になりました。すると、なんとこの地区に防災無線を通じて流れるお昼のメロディーは、〈ひょっこりひょうたん島〉であります。昼飯のおにぎりを食べつつ、ヨーガは 進め~ と歌うのでありました。ひょっとして、井上ひさしさんは、この津波を予言していたのだろうか、という疑問もふつふつと。

そして作業再開して14時30分頃、雨が降り始めて作業は中断。まだ校庭の半分が未整備ですが、このまま撤退する事となりました。未練が残りましたが、翌日に同じ団体ボランティアが横浜から来ることになっているので、残りの整備を託すことになりました。

まだこの時期になっても、地区の子供たちのためにグランド整備が必要なことに復興の遅れを感じましたが、今回はこの活動に関われたことが充実感としてた残りました。ボランティアが引き上げる頃、この整備された半面のグランドに中学生が2-3人で出てきて早速、ボール蹴りを始めました。

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こうやって現地二日目の作業が終了し、帰途途中では仮設を利用した復興商店街で休憩しました。ここもまだ復興の途上であります。この地区で日本酒と地元の海藻を買い、買い物応援であります。この商店街経由で施設に戻り、前日に続き銭湯に入り、駅飲みして蕎麦屋で夕食して大部屋で雑魚寝で爆睡しました。

最終日は朝から施設の清掃、そして12時までは自由時間もあり、なにかと充実した気分、そしてまだ復興途上の被災地を見届けた気分で遠野を後にしました。

   少し愛して 長く愛して ボランティア

遠野物語は、まだ続きがありそうです。またね。   

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