小説遂に!

遂に、恥の上塗り小説の連載を不定期で開始します。事実とフィクションが混ざっています。当時のお宝情報の取材で、4月25日に高校時代の仲間4人で会合を持ちました。そのほかにも重大な発表があるのですが、それは解禁されてからという事にします。カテゴリーに小説という項目を設けましたので、以後、こちらからもアクセスできると思います。

 

夜半、微熱の頃を過ぎても    連載1回目

 

◆序章

 

あの頃の自分達は微熱を感じながら日々を暮らしていたと思う。その熱は反体制としての政治や音楽が次々と台頭して作り出す騒然とした時代の地熱だったのか、青春期がもたらした自分自身の発熱だったのか、区別が難しい。そして時に、その熱は微熱から高熱へと上昇して自分達を困らせていた。熱に耐えるにはまだ十分な体力や知恵もないままに。

 

◆第1章風のグランド

 

当時、有名国公立大学への進学は、都立高校に限定すれば日比谷、西、戸山、上野高校などが上位を占め、これらの高校に入いれば大学受験に大変有利とされ、有名都立高校への受験は受験戦争と呼ばれる状態に突入していた。この状況を緩和すべく、都の教育委員会、そして都知事は改革に乗り出し、1967年に学校群制度を導入した。

 

それは、都立高校の学区ごとに、2つ又は3つの学校をグループとしたグループ受験に切り替えるものだった。人気のある進学校を分散させ、人気校より学力的には多少落ちる高校の組み合わせを作り、そのグループごとに高校受験する内容となった。例えば、第1学区だった大田区、品川区、千代田区、港区にある都立高校の組み合わせの一つとして、都立K高校と、都立D高校が組み合わされ、第14群と呼ばれる学校群となった。つまり、14群を受験して合格すると、どちらの高校へ行くかは選択できず、合格した受験生にとっては運に作用される都立高校の受験制度だった。

 

この制度が導入されしばらくすると、希望しない都立高校に割り振られる事を心配した受験生は、合格した都立高校の結果によって、同時に受験していた私立の有名高校に進学するという事が頻繁に起こるようになっていた。そして、この制度が続くことで名門と呼ばれていた都立高校の学力は低下しはじめて、それ以後、長期的な低迷期に入ることになる。

 

その学校群制度が発足して、第1回目の受験で入学したH達は、最上級の3年生となっていた。このK高校は、東工大への進学では全国のトップクラスとして名前が知られており、K高校目当で入学した理数系志望のクラス・メイトもいれば、ちょっと背伸びしてきてしまったクラス・メイトもいた。Hは特に希望して入学したのではなく、どちらかといえば後者だった。

 

Hは中学ではずっとバスケットボール部に所属し、大田区の大会では何回も優勝し、それなりに自信があったので、入学したK高校でもバスケットボールのクラブに入ることになった。この高校では、クラブ活動を班活動という名称にしているため、バスケットボール班と呼ばれていた。ここでもスタメンとして試合に出てはいたが、さすがに高校になると私立のクラブ活動のレベルは高く、都の大会などでは良い成績を残すことができなかった。すでに3年生の2学期も過ぎ、班の活動は2年生に移っていた。Hはバスケットボールへの興味が薄れはじめ、そして大学受験を意識しなければならない時期だったが、発想が自由で、手を使うより不自由な足を使いながら、スピード感のあるサッカーというスポーツに魅力を感じ始めていた。

 

その朝、Hはいつものように都立K高校のグランドでサッカーボールを蹴っていた。メキシコ・オリンピックでの釜本選手の活躍などで、サッカーは人気のスポーツとして徐々に高校生にも浸透し、体育の授業でサッカーの面白さを知ったことで、自主的にクラス対抗のリーグ戦が立ち上げられ、授業の始まる前の水曜日の朝には、30分ハーフの試合が組まれるようになっていた。

 

東急という私鉄の駅前にあるこの高校は、灰色をした古い校舎があり、その前にある土のグランドは風がある日はその通り道となり、いつも砂埃を舞い上げていた。その日も風が強かったが、いつものようにクラス対抗のサッカーの試合が始まった。Hはバスケットボール班に所属しているということで、大抵ゴール・キーパーを任されていた。冬の校庭、しかも砂埃舞う校庭に立ち、その日もキーパーとしてゴール前でポジションをとり、当たり損ねのシュートを何本かキャッチしていたが、自分のクラスである3年F組の攻勢が続く時間が多くなり始めていた。キーパーをしている時間がとても辛く感じられて、ハーフの30分が終わると、交代してくれる相手を探した。何人か声を掛けて、やっと交代してくれる同級生を見つけた。

 

F組にはサッカー班所属の生徒が2名いて、彼らを中心にしてゲームを組み立てる事が多かったが、後半が始まり、左サイドのポジションにいきなりチャンスがやってきた。味方が自陣ゴール付近で相手ボールを奪い、サッカー班のT坂にボールを預けると、彼は右へ行くと見せかけた素早いフェイントで目の前の相手を2,3人抜き去り、右サイドから中央付近にドリブルで上がってきた。そして左サイドからゴール前近くにポジションをとったHを見つけると、T坂はHの胸に向かって正確なクロスボールを送った。そのボールはHの胸でうまくトラップされることでコントロールされたボールとなり、Hの足元へ落ちてきた。地面に落ちる瞬間に右足のボレーでそのボールを振りぬくと、見事な軌跡を描いて、前目にポジションをとったキーパーの頭上を越えてゴール・マウスに吸い込まれた。0-0で始まった後半、Hにとってサツカーの試合で生まれて初めて得点する貴重なゴールとなった。結局、この1点が決勝点となり、クラス対抗の試合は、F組が勝利して終了した。

 

バスケット・ボールの公式試合では通算何百ものポイントを上げていたHにとって、このクラス対抗で入れた草サッカーでの1得点は、その後、何十年たっても忘れることの出来ないゴールとなった。得点を上げた瞬間、頭の中は真っ白になり、アドレナリンの快感が体をしばらく支配していた。

 

試合後、運動班の連中からは、風のグランドと呼ばれていた校庭の隅にじっとしている事で、この余韻を楽しんでいたが、これから始まる様々な厄介ごとにも思いをめぐらしていた。そして興奮が冷めたところで、F組の教室へ戻り着替えを始めると、隣に着替えを終えていた体操部のDがやってきて話かけた。それは1969年の冬のことだった。

 

       旅立てと 風のグランド 冬日差し  

 

【続く】

 

 

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小説遂に! への5件のフィードバック

  1. より:

    祝!ご出版!?
    続きを楽しみに待ってます
     
    元同級生、名無しのPでした
     
    PS.「続く・・・」のまんま、20年?塩漬けになっている名作
       「男たちの夢はJAFに引かれて相模湖に消えた」の続きも読みたいな~

  2. ヨーガ より:

    早速のコメントありがとやす。そうそう、これで打ち切りもありえます。

  3. ローズクォーツ より:

    すごい!! ブログが面白いのも当たり前ですね。
    これだけの 文才あるんですもんね!  あらためて 感動しました。
    T坂君のクロスボールが H君の胸に正確にトラップされた感じが 私の胸にも感じられちゃいました!<笑>
    続きがたのしみです!!  ワクワク!!

  4. ヨーガ より:

    ローズ賛江
    文才は忘れた頃にやっくるは冗談ですが、すぐの続きが難しいです。
    実は転勤がきまり、気も動転しおります。

  5. 香美 より:

    小説の続きを楽しみにしています。
    仙台から東京、
    大阪と転勤忙しそうですね。
    大阪はいかがですか。

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