続き!

 
さて昨晩は、枯葉を噛む南沙織さんににたどりついてしまいました。3つ年下の女(ひと)です。ヨーガ20歳の1971年に、まだアメリカ領土だった沖縄から来日して、17歳という年齢で 、17才 という歌でセンーショナルなデビューを果たし、いきなり54万枚のセールスを記録しました。
 
 
昨日紹介した 色づく街 がヒットしたのは1973年、そして翌年の1974年は南沙織の絶頂期の頃と思われますが、吉田拓郎 と かまやつひろし がシンシア という曲を発表して、ヒットさせました。そのシンシアとは南沙織か゛クリスチャンで洗礼を受けていて、その名が洗礼名がシンシアです。( 調べなおしました。)おじさん二人が、南沙織に捧げた、この曲は、拓郎の中でも別格で、好きな曲であります。
 
 
 
シンシア
 
作詞 吉田拓郎  作曲 吉田拓郎
 
なつかしい人や町をたずねて
汽車を降りてみても
目に写るものは 時の流れだけ
心がくだけていく

帰って行く場所も無いなら
行きずりのふれあいで
なぐさめ合うのもいいさ

シンシア そんな時 シンシア 君の声が
戻っておいでよと 唄っている

君の部屋のカーテンやカーペットは
色あせていないかい
 
人ごみかくれて肩をすぼめて
自分を見つめた時
過ぎ去った夢がくずれ落ちる
長い夜が終わる
 
夜空は町に落ち
人々が笑いながら通りすぎる
あの日と同じところを
 
シンシア そんな時 シンシア 君の声が
戻っておいでよと 唄っている
 

さて、朝飯はシンプルに 豚キャベツご飯となりました。12月に入り、リコビダンDで気勢を上げるヨーガでした。画像は、冬の散歩道、ランドセルを背負ったケヤキ、昨日朝の定禅寺通りです。

 

 
 
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続き! への2件のフィードバック

  1. 豆ぞー♪ より:

     19701は、大阪・万国博覧会の翌年です。
    生まれて初めて、万博会場で、インド人女性を見た私。
    当時・未就学児でしたが、ヨーガさんは成人してたのね。
    36年経過し、私もオバちゃんになりました。
    当時は、鼻タレ小娘と大学生の好青年 だったのねぇ。
    アグネス派ではなかったのね。
    当時、豆家では、アダモとかミシェル・ポルナレフとか聞かされてた。
    そして、井上陽水(?)の あかずの踏み切り とかまだ覚えてます。
    そして、りりぃ も聞いてました。(最近彼女、オバちゃん役でドラマ出てますよね)
     
    ♪目の前の踏み切りが…… 中略  
    サビが 
    ♪ここはー あかずの踏み切りぃ~ フーウー アーアーッ
    こんな曲ご存知でしょうか?

  2. ヨーガ より:

    豆様へ
    重要な投稿ありがとうございます。1971年、好青年だったかは怪しいですが、
    下記式が成り立ちます。
    36歳 <  豆様 <  55歳 = ヨーガ 
    さらに、インド人目撃して記憶ということで
    39歳 <  豆様 <  55歳 = ヨーガ 
    さらに、1971年に未就学ということで、
    39歳  <  豆様 < 42歳 
    と推理しました。
    それにしても、りりィは1973年頃ブレイクしていますから、5-6才< 豆様<8-9才 ということで、よく知っていますね。
    あかずの踏み切り、よく知っています。陽水は、同時代を歩いてきた大事な歌うたいとして認識しています。
    今回は、りりィをいただきます。

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